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忘れられない旅行

花*男

西門総二郎のページ

 西門総二郎のGallary
長編「信じてる」1話から79話(10.26.2007~5.18.2009完)





短編 「長雨狂奏曲」


ヒュ~♪

わき腹をこそばすような声。
パーティー会場にふさわしい黒の細身スーツで決めた西門さんが、終始見てましたと言わんばかりのタイミングでプランターの陰から現れた。

「う~ん、モテモテだな。」

あたしは「餅屋の倅(せがれ)だ。」と、はにかんだ先輩の背中を見送るやいなや、クルリと向きを変え、鼻先をフンと上げて。

「そっちこそ。」

と軽く睨んでやる。
西門さんは眉端を上げ驚いた色を浮かばせたものの、すぐさまニヒルな口元に戻った。
隣には、チャコール・グレイにチェリー色のピンストライプという個性的スーツを決める美作さんが同意するようにニヤケて立っていた。



英徳学園大学が伊豆諸島の一つに巨大施設建設計画を発表したのは今春のこと。
資金提供を各方面に依頼しているのは公然の話で、今日は同窓生で構成された“麗花会”による大口寄付者への感謝状授与、また、小口から大口まで新規寄付の再度のお願いなど、ここ采龍閣ホテルにてファンド・レージング・パーティーがひらかれており、学園長・学部長・理工学部教授、卒業生らが集う同窓会のような面々が集合していた。

大口寄付者の道明寺はあいかわらずNYで欠席。
あいつ、私に会わす顔がないなんて、まともなこと言いすぎて、もう文句もでない。
花沢類は・・・新婚旅行中・・・お見合いして、パッと結婚した。
ジューン・ブライドだって。

そして、あたしはくじけることなく花の独身生活を楽しんでる。
いや、これからももっと。
どうあがいたって、人生は重き荷を担いで歩くごとし!って悟って目が覚めた気分だ。
捨てる神がいりゃ、拾う神もいる。
いつか振り返って感動のあまり咽び泣ける日まで、ボンビー牧野が本気だして稼いだらどうなるか、よりかかる相手がいなくてもだ。
稼いで稼いで自分に投資して、自由に生きて、道明寺財閥なんてチッ!って言ってやる。
道を歩けば、自己啓発のセミナー・その手の書籍がたくさんで百人力、女が一人で生きてみるのもいいじゃない。
婚姻関係など煩わしいだけじゃないの。
本屋で片っ端から手に取ろう。
休暇はもちろん女友達と海外で豪遊する!!見てなさい!!!

男?もういい。
捨て鉢なんかじゃなくて、精子買って、一人で産んで、子育ての選択もありだ。


けど、今日みたいに男の人から誘われるのはどうしたもんかな。
二期上だという卒業生にこのパーティー後の予定を尋ねられ、丁重にお断りしたばかりで、すなわち、またまた苦い後味が残っていて、都合よく居られないもんだ。
テーブルを囲んだ輪の中で出た政治家の名前が金さんのお父さんだったもんだから、その上、金さんの友達だっていうから、二人で語り合ってしまった。

「天草清之介だろ?同じバイオリンの先生でさ、一緒に二重奏したこともあったから。
あいつん家、双子の赤ちゃんうまれたんだって?」

「えっ、友達なんですか?私も。
双子ちゃんね、抱っこしたら小さくって。」

そんな会話から始まって、TOJで準優勝した事やベラベラしゃべって、えらく感動されて、ぶっちぎって褒めていただいた。
その餅屋の御曹司は椿お姉さまに憧れていたそう、だから、あたしの株まで上がったみたい。
婚約解消されたのはここでは周知の話で気も楽だったし、金さんの両腿に乗せられた小つぶな赤ちゃん達とママになったあや乃さんの家族写真付き賀状が、どうやら同じもので親近感が沸いたり、学園時代に遡った楽しい会話だった。


「もう少し話したいんだけど。この後予定ある?
それとも、僕と二人はまずい?」


予定は無いけど。
ただ、この後は・・・さっき、某局プロデューサーのS氏や話題の鹿児島菜園のM氏も見かけたし、他にも同窓の好(よしみ)で活躍中の方と話できるかもと楽しみにしていた会だ、それに、二人きりはちょっと。
誘っていただいてアリガトウ、勘違いさせてゴメンナサイ。

男なんて二人きりになると、たいてい夢や愚痴を語り出し、優しい声であたしのどこが気に入ってるのか強調し始めて、変な方向に思考が働くみたいで、まともな話なんか一つもできない。
そんなのはお断り、ましてやお付き合いなんか意識されると後々面倒で、目下、男を避けて歩いてる。
道明寺との破局以来、彼氏いない歴6年目。
胸を張って記録更新中だ。

「牧野、もう空いたなら、コーチングの本出したっていう女、紹介してやるから来いよ。」

そう言ってくれたのは、美作さん。 頼んでおいてよかったよ、さすが、美作さんだ、わかってくれる。

「それ、どんな女?」

「お前も来る?一緒に紹介してやろうか?・・まあ美人の部類っかな。」

「なら、一つよろしく。」

興味本位で付いてくる西門さんはポケットに手を突っ込んで、愉快なことを思い出してるのか口元がニヤケてる。

「西門さん、女の人に泣きつかれてたでしょ、さっき見えてたし。」

「げっ、格好わりぃとこを。
忘れてくれ、俺はもう忘れた。」

「ほんっとにいつか刺されるよ、英徳の子にも手出して。
同じ学校の子は喰わないって言ってなかった?ちょっとの貞操も守れないね。」

「知らなかったんだよ、先輩だって、まずったわ。
こんなとこで会って、マジびっくり。」

「マジかよ。」

「おう、どちらの学校ご出身?っていちいち確認しないだろ。」

「数、打つからだろ。」

「俺は旦那持ちの彼女にゾッコンの方が怖いけどな。」

「ゴホ・ゴホ・・・ン、ちょっと、もっと上品な話してください。」

コーチングの先生を紹介してもらい、西門さんと一緒に短い自己紹介した。
あたしよりまことに素晴らしい職業名、そして、スマートに握手して、ニッコリ涼しげな笑みを送って、がっちり先生のハートを掴んだ西門さん。
あたしの自己紹介なんて瞬時にぶっ飛んだよね、先生?

肘で一つ小突いてやる。

「ん?」

首を捻って見下ろす西門さんに、見下された気分で、いや、実際、見上げてるんだけども、文句言っても仕方ないし、コーチングの先生と話すのに集中することにして、どこから話を切り込んで行こうか思案しながら、無難な話題から始めた。

初対面のあたしに、先生が出版した経緯を丁寧に、詳しく、熱く、時に、頬を紅くそめながら話してくれたのは、ひとえに美作さんと西門さんの超絶会話テクニックのお陰だ。
かゆい所に届く合いの手、女性心をくすぐる魅惑的な甘いささやきと微笑みの賜物に違いない。
結果、すごく深いお話をいただけて、先生とお別れした直後は、あたしもどっか燃えてる気がした。


「なんだか、あたし、いける気がする。」

「単純な牧野。」

「あんた達みたいに、職業選択が縛られてないしね。
とにかく色々勉強していけば、いつか・・・。」

「いつか・・・とりあえず、何かのエキスパートになって、先生に?そいで?」

「いや、先生とかって響き、いいじゃない?
まずはあの人みたいに本出して、名が知られるようになったら凄いじゃん。」

「まずはって・・・あのな、本出すって、道を見つけてもないのにどうやって?」

西門さんが突っかかるような口調で言う。

「西門さんは探す手間なくていいよね~、あと5年くらいしたらお茶について書けばどうよ?そしたら、サインちょうだいね。」

「こいつ。」

ちょっと言い過ぎたかなって思っていると、美作さんと目が合った。

「そのまずは・・・彼氏だ、彼氏でも作れ、なっ、牧野。今やモテ期なんだし。」

パーティーが終わり、会場内には人もまばら。
美作さんは上のバーへ行くらしいけど、西門さんは帰るらしい。

「あたしも今日は帰ろうかな。」

「なら、送ってく?」

「いいの?」

コクリと頷く西門さんの車に乗せてもらうことになり、美作さんと別れ、地下駐車場までのエレベーターに一緒に乗り込んだ。

西門さんの車は深い青色のコルベット・クーペ。
プレイボーイで、走り屋らしい車。

ピッ!
西門さんにドアを開けてもらい、その大きく深いシートに身を沈めるように腰掛けた。

ハアー・・・。
ベッドみたいに座り心地のいい車。
そして、西門さんがキーを出すことなくボタンを押すと、ブオオオンと地面から持ち上げられるようなエンジン音が響いた。

「まだ降ってるよね?」

「そうじゃね?予報では明日も雨だろ。」

「いい加減止んでくれないと洗濯物が困るんだよね。・・・ったく、いつまで降るのかな。」

西門さんはハンドルを大きく右に回し、復元力で戻ったところで、素早く駐車券を胸元から取り出して、親指とハンドルで器用にはさみ運転してる。
雨だろうが晴れだろうが、どっちでもOKって感じか。
地下から地表に出れば、闇色の空が待ち構えていて、雨がシトシト、黒い地面がテラテラ光っていた。
思い切り手を伸ばして、ストレッチを一つ。


「うぅぅーーっ、ハアーーー。
人の多いパーティーはやっぱ疲れるね、気付かなかったけど。
この椅子、サイコーだわ。」

「お前、随分キョロキョロしてたもんな、その細い首、折れたんじゃね?」

ムッ。
あっ、そいえば。

「あたし、どこやったっけ、さっきもらったMさんの名刺、名刺。」

サッと突っ込んだ名刺が気になっていたのを思い出し、カバンの中を手探りで探したけど見つからない。
折角、もらった鹿児島菜園のMさんの名刺。
Mさんといえば、父親の家業を母体にハイテク農業を実践し、世界の珍しい野菜やフルーツなどの安心食材を関東圏へ安定的に流通させた。土壌から微生物管理し、それも最小限しか使用せずに空調・温度・水循環をセンサーで一括管理、衛生面でこれ以上ない安心感を全国の外食産業に届けることを可能にした話題の人。
そんな人が英徳出身で嬉しい。

「あった、あった・・・良かった。」

カバンの底にはりついた紙の手触りに、思い切り安堵した。

「確か、独身っつってたよな?」

「そういうんじゃないってば、違うでしょう。
これがご縁で、仕事をいただけるかもしれないしさ。
ああいった人からは、お話してるだけで、プラスのオーラっていうかエネルギーを感じるじゃない。
同窓で鼻が高いよ。」

「ふ~ん、そんなもんか。
っつっても、牧野の担当は服飾だったろ?食品なんか関係ねえじゃん。」

「確かに、まだ今はね!でも、この先はわかんないじゃない。
いつか支店長になって、ヘッドハンティングされて全然違う所でバリバリやってるかもしんない。
年齢や立場ぬきでオープンに意見が取り入れられる社風なのよ。
あたし、チャンスをつかむ自信はあるんだ。」

こぶしを握って、突き出した。

「フ~ム、そう言うか。」

デパートに就職し、売り場での販売経験・社内プロモテスト・イベント計画、デパートの色んな仕事をガムシャラにやってきて、休日返上、多くの時間を割いてようやく企画室女性服飾Gの一員になれた。
充実という果実が形になり始めた今日この頃で、上司からも同僚からも一目置かれてるのが、ちょっぴり誇らしく、働きやすい環境を保っていると思う。

チラリとあたしを見た後、西門さんは小さく笑って言った。


「スゲーな、牧野は。」

「あっ、今、鼻で笑った。
どうせ、夢見る夢子ちゃんとでも思ってるんでしょう?」

「いいや、言葉通り、スゲーって思った。」

「あたし、スゲーの??」

あたしの口からも笑いがもれた。

季節は梅雨。
夏至とは名ばかり、重く灰色雲が垂れ込めた空が連日続いていた。
今夜も雨は止まず、窓に当たる水滴は消え落ちてはまた流れ落ち、めまぐるしく断続的に続く街灯の灯りを帯びて、それはきれいな水の芸術作品のようだと思う。
雨の雫が形を変えつつ、西門さんの端正な顔にもその陰影を映し、頬から鼻にかけて、伸びた陰摸様が薄く散らばっていた。

赤信号で車が停まると、隣に並んだ車からクラクションを鳴らされた。
プップー♪
雨の中、窓を下げる相手は美しい女性で、西門さんと知り合いの様子。
左ハンドルと右ハンドルの距離間一メートル、西門さんも半分まで窓を下げた。

「おう、久しぶり、芸能人かと思った。」

「西門くんったら上手・・・ねえ、そっち大丈夫?」

女性の目配せがこっちに感じる。

「こいつ?大丈夫、送ってく途中だから。」

「へえ~、あやしい。」

「と・も・だ・ち。」

「じゃあ今晩、電話して、遅くても待ってる。」

「了解。」

信号が青に変わった。
彼女が窓を閉めると、彼女の車を置いてきぼりにするようエンジンをうならせ走り始める。

「ごめん、牧野。」

「なんで謝るの?」

「親しき仲にも一応、礼儀?」

「と・も・だ・ちなんだし、今さら、どういたしまして、だよ。あの人、彼女?」

「先週の女(ヒト)。」

「ブッ、正直。
続くのぉ?電話、するって?」

「わ~かんね。」

「なんで、そうコロコロ変えられるのかな~。」

「天気もこんなだし、家に篭るしかねえしな。」

「なーんか、ふしだらな響き。」

「まっ、大怪我しないようにはしてるし・・・。」

怪我しないようにしてる・・・ねえ。
女好きのチャラ男なのに、落ち着いた所もある。
厳しい規範に定められた茶道に幼少期より慣れ親しんだせいからか、思慮分別もあり、雑学含めて知識も豊富、会話上手でセンスもいい。
込み入った女の子の扱いでさえ、スマートに解きほぐし両者一期一会の出会いを楽しんでるようにも見える。
考えてみれば、すごい人なんだ。
西門流は組織が細かく枝分かれしていて統括するのも大変だろうし、凡人では経験しない難しい立場にいる訳だから大変なのも容易に想像できる。

西門さんの向こうの窓をぼんやり眺めた。

雨音がさらに強くなってる。
白い飛沫もそこかしこに上がってた。
降り続く雨は、低気圧が上空に停滞してるらしく、先週の木曜日からずっとだ。
雨つぶが車に当たって、ルーフで跳ね返る音と回転数を上げたワイパーの忙(せわ)しい音がもつれあいながら激しく聞こえ、偶然生まれた旋律を怒ったように奏で続けているようで、その大音量にのみ込まれてしまいそう。
単調に繰り返される音は、母親の胎内で聞いた心音にも似て、懐かしく、温かい音でもあり、エコーは最大、大音量、生ぬるい羊水につかる身体が分厚い壁で隔離され、守られてる錯覚に陥る。

時速何キロ出てるんだろ?
あたりは一段と暗くなって、通行人は屋根のある場所へ避難したのだろうか?

かなり走っている。
景色は流れているのに、ふいにふわり宇宙に浮かんでるような不思議な感覚に見舞われる。
雨の匂いと西門さんのバニラがかった甘酸っぱい香りが鼻を打ち、スッと鼻から息を吸い、自然と手足にギュッと力を入れた。
あたしは強く丈夫な車に守られて、濡れることもなければ適温の中、最高級シートで、こうして耳に入る音が心地よいと感じながら、身体を抱え小さく丸まった。

シートに沈みこんだまま、西門さんの横顔を見上げて凝視する。
窓に流れるしずくを背景に、きれいな横顔を印象付けて、それは完璧にきれいなシルエットだった。
女の子を惑わし、笑って立ち去るジゴロ。
ひどい大雨でも・・・余裕の表情でハンドルを握る事もできる。

「眠ってもいいぞ。」

「・・・ん。」

この男のさりげなく上手く交わす会話術って、やっぱり見本になるわ。
器用さなら類の方が手先は器用なんだけど、それとも違う。

常に幸運が約束されてる訳でもないだろうに、すいすい世の中渡っていそう。
そう思うと、黒いスーツの襟元を掴んで壊したいくらい府に落ちなくて、けれども、固く構築されたポーカーフェイスは謎だらけで、理解しようとする端から跳ね返されてくたびれてしまう。

「F4で一番器用なのは類だよね?」

「は?一番か、俺・・じゃねえの?類は、偏ってるからなあ。」

「・・上手くかいくぐって、絶対つかまらないように逃げてるのに、必死じゃないし、いつも成功してる。」

「俺のこと?」

無言の返事を返す。

「うおっ、それ、褒めてる?」

「バカ、犯罪ギリギリじゃん、注意してんの。」

「認めろ、俺も牧野の自己啓発運動に役立つんだって。」

「運動って・・・バカにしてるでしょ。」

「いや、セルフ・ディベロップメント(self development)活動と言うべきか?
まっ、どうでもいいけど、・・・ヘヘッ、牧野が俺をねえ~。」

「違うってば。
プレイボーイから学ぶことなんてないもん。」

「フッ・・・何かあるだろ、これでも、俺は・・・、」

あたしは西門さんからプイッと視線を反らし、フロントガラスを見つめた。

「・・・。」

「そっか、そりゃ残念。
めずらしく褒められたかと思った。」

「あたし、M氏に電話して工場見学たのんでみようかな。
ねえ、どう思う?一人じゃなんだし・・あ~、こんな時、類がいてくれたらなあ。
なんなら、西門さん一緒に行ってくんない?」

西門さんはとんでもないといわんばかり、即座に首を振り肩をすぼめた。
あたしはどうしようか思案していて、きっと、どれもこれも口に出ていたのかもしれない。



「牧野、肩から力ぬけ、老けるぞ。」

「・・・っさい。」

「・・・ククッ、つくづく貧乏性だな、お前。」

達成したら次のゴールを、一段一段階段を上がるように設定しなおして、誰の手も借りずにやってきた。あんなに一喜一憂しながら、当たり前に頑張ったことも、この男には無駄な空回りにすぎないのかな。
なんとか手繰り寄せた機会を取りこぼさないよう必死な様が、かぼそい女の意地に見えてるのかな。
頑張りすぎないで幸せになれるなら、始めからその極意を教えて欲しかった。
水墨画のように不惑で過不足ない声で聞かせて欲しい。
肩の力を抜けなんて・・・言う?
担ぎ歩く行商人は降ろすでしょうよ、けれど、あたしはそんな単純に背負ってなくて、この背に縫いつけたも同然、ずっとそうして歩いてきたし、解いたら、あたしがあたしでなくなる、きっと。

To be, or not to be 生きるか死ぬか。
誰にもわかってもらえない、誰にも。
胸の底から燃えたぎる赤い塊がこみ上げてきて、鼻の奥があつくてたまらない。
砂上の楼閣が一瞬でくずれるように頭の中がグラリと揺れて、目の前がぼんやりしだした。

ポトリ・・・ポトリ

あれっ?なんで?

「ええっ?牧野、泣いてる?俺のせい??」

ポト・・ポト・ポト・ポト・・・。

「ひょっとして、俺、地雷踏んだ?」

ゆっくり首を振る。
この状況を言葉にして説明なんてできない。
突き上がる感傷の情を言葉にすると、もっと混乱してまとまらなくて、きっと最後の一滴まで赤子のように泣き続けるだろう。
西門さんの車の中で、急に泣くあたしってバカだよね、そうとしか思えない。
でもね、一方で、どうしても泣きたい、今だけ泣かせてほしいと切望してる。
グチャグチャな顔と千回分の後悔・・・わかっていても、涙は溢れ出し頬を濡らし続けた。

不思議だ・・・泣くことが恥ずかしくなくて、むしろ、心地いい。
モヤモヤを吐き出して、涙の分だけ軽くなってる。
四方八方、雨・雨・雨・そして、この車内でも涙・涙・涙。
ドライなのは西門さんだけ、たまったもんじゃないだろうに。
ヤダ、どうして西門さんの前でこんなにも涙を流してるんだろう。

「ごめん・・・・雨のせい、雨がひどいよね。」

ひどい泣き顔のまま顔を上げ、西門さんにニッコリ笑って見せた。
西門さんの返事はなく、その代わりコルベットを路肩に停車させ、いくつかのボタンを勢いよく押すと、ドタッとシートにもたれ、無言で腕組したままシレッとしていた。
しばらくすると、大きなトラックがゴーっと轟音を立て通り過ぎて、その直後だった。


「よかったら、胸、貸そうか?」

心底心配してるのだろう、いたわりを感じる優しい声。

「うん。」

西門さんは小さく頷いて、私を引き寄せ胸の中に包んでくれた。
両腕を背中にまわされ、思いのほか、その力が強くて、口紅が危うくシャツに付きそうだった。
頬に伝わる西門さんの体温があったかくて、冷えた胸の中に温かい血が流れ込んだみたいで溶けていくようだった。
随分長いこと、こんな風に抱きしめられてなかったな。
そっと西門さんの背中に手を回してみる。
大きな涙の雫がポトリと西門さんのスーツに落ちた。

「嘘みたい・・・。」

「俺も、牧野とこういう展開になるとは。」


嘘みたいに温っかくて、効果的だって言いたかったのに、うまくしゃべれなかった。
顔をあげてはいけない、いけないと思いつつ、続きが知りたくて見上げると、サラ髪の奥から私を捉える二つの眼差しとぶつかった。
一瞬、銀色めいた気がしたのは気のせいかな、不思議なものでも見るように、瞬きもせずずっと見つめられ、反らすことができない。

怖くなって、再び、西門さんの胸に顔をうずめた。
心臓がドクドクいってる。
どうしたのか、この轟音のせいで思考まで壊れたかも。
階段を走ってのぼった後みたいに息苦しくて、思わず逃げ出しておきながら、ここから離れたくないって矛盾していて、まともに考えられない。
西門さんは、私の髪の毛をそっとなでた。
ゆっくりと、お兄さんみたいに優しく・・・その掌の重みがジンジン胸に伝わってくる。
平常心なんだね、こんな時も西門さんは。

そう来るなら。


「あたし、西門さんに奢ってもらう約束してたよね。」

ゆっくりと、涙声が割れず聞こえるようにしゃべった。

「・・・?」

「熱海の、pearl clubのディナーが、今食べたい、今。」

「今?」

「うん。」

「ハハッ、いくら泣きべその頼みでもなあ、今から熱海まで走って、夜の10時過ぎるか。店なんか、とっくにクローズしてるって、また今度・・・。」

「じゃあ、ブランチでいい、し。」

ブランチは文字通り、breakfast とlunch を混ぜた意味。
一緒に泊まろうって誘いを意味することは百も承知。
マジにビビる西門さんは、無表情で、ムスッと怒ったような顔になるんだね。

「・・・。」

困った西門さんの表情は、怖そうだけど可愛くもあった。

「クスッ、雨の恵みかな・・・そんな顔を見れるなんて。」

「・・・?」

「ブッ、アハハ・・・」

「なんだよ~、ひでえな、俺、心臓止まるかと思った。」

胸をおおげさに押さえてる。

「あ~、怒るかと思った、ハハ・・。」

涙にかすれた笑い声が車内に響いた。


「行ってみっか、どうせ明日は休みだろ?言い出しっぺは牧野だからな、文句言うなよ。」

「っ?」


返事を聞かずにボタンを押し、再びエンジンが火を吹いて、車線変更のウインカーがカチカチ鳴る。
追い越し車線に入るなり、ジェットコースターみたいに急加速、ブオオ~ンと雄たけびを上げて走り出した。
まだ雨は止まず、激しい音をたてルーフに当たり、ワイパーが忙しく動いたまま。

流されてみようかな。
行ってみてから考えるか。
西門さんに任せてみよう、なんとか考えてくれるだろうから。

この雨が上がったら、濡れたビルも道路も公園も、瞬く間に乾いて平常に戻るだろう。
ギラギラした夏を前に、緑は刻々と深さを増し、デパートはお中元の時期を迎え忙しくなる。
あたしの中にもお日様の陽は注がれ、乾いたら、何かが変わってるかな?
わからないけど、洗われた分、きっと冴え冴えと見えてくるかもね。
昨日までのあたしと少しだけ違っていて、そしたら、あたしは・・・。



カバンを引き寄せ、化粧ポーチを取り出した。
春に発売されたばかりのパウダー・ファンデーション、携帯用に厳選して入れておいたものだ。
探して探してようやく巡り合えたあたしの勝負道具。
蓋に輝くメーカー名の印字を人差し指でなぞってから、蓋をパカッと開けて、鏡の中の自分に話しかける。

“・・・泣いたカラスがもう笑った。”

そして、やんわりと微笑んだ。


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