美作あきらのページ
長編「選んでくれてありがとう」1話から67話 (8.10.2007~10.16.2007完)
6月のそよ風は微かに夏の香りがして、私の心をくすぐりながら吹き抜けていく。
陽が陰り、辺りがグレイに染まり始めると、どこからともなくクラッシックが流れ始め、今宵の宴が始まった。
彼女達らしくリッチで可憐にデザインされたパーティーの趣向は、招待客にとっては期待通り、夢見る時代に遡ったかのような甘さがそこかしこに散らばって、淡いハート色の輝きが招待客の両眼にキラリと映し出されるのに時間はかからない。
にわかに美しい微笑みのウェーブが沸き起こり、誰も彼もが隣人へと新たなウェーブを送っている。
豪華なホテルのガーデンパーティーに欠かせない手入れの行き届いた芝生。
フサフサと生え茂る芝は、昼間は目にも鮮やかなグリーンで、夜は夜で立派な助演として、そこにあるワゴンに吸い寄せられるように足を向かせるもの。
「スミマセン、飲みやすいカクテルを一つ。」
すると、バーテンダーは請け負ったオーダーを始めから決められていたかのように作り始める。
「よお、牧野、ここに居たのか。」
「あっ、美作さん。」
「今日は来てくれて有難うな。」
「ううん、こちらこそ楽しんでるもの。
芽夢ちゃんと絵夢ちゃんのピアノ・デュオは、いつ聞いても素晴らしいし、このパーティーも素敵。」
「あいつら、牧野には毎年、招待状を手渡してるんだろ?」
「うふっ・・・私にとっても、可愛い妹たちみたいだよ。
なついて貰ってるだけでも嬉しい。
美作さんこそ、忙しいのに欠かさず出席して、珍しいくらいの妹思いだもんね。」
からかうように言ってやると、美作さんは未だ屋内にいる今日の主役二人を見遣った。
大きなベースの向こう側で談笑する妹たちは、成人した今も妖精のように可憐な魅力を湛えている。
「まあな、欠席する方が、後から面倒だろ・・・クスッ。」
「っふふっ・・・自慢のお兄さんが来なくちゃ、延期するなんて言っちゃうかもね、あの二人。」
バーテンダーからカクテルグラスが差し渡された。
ラッパ型グラスはオレンジ色がかった透明の液体で満たされ、瑞々しいオレンジのスライスが添えられてる。
礼を言い、ゆっくりと一口啜ってみる。
強いアルコールの香りとそれに負けないくらいの甘酸っぱいオレンジの香りが口の中いっぱい広がった後、喉の奥へと流れていく。
胃袋へ向かって突き進んでいくのが手に取るように感じられる。
トロピカルな味に魅せられて、今夜は酔いが早く回るかもしれない。
とても豪華な飾りつけ。
大胆な南国調の活花とアメリカのティーンエイジャーが好みそうなパジャマパーティー風カトラリーが融合したテーブルセッティング。
テーブルクロスの甘い色柄とカトラリーに乗せられた美しい切り花の対比が斬新だ。
黄・赤・白・紫・鮮やかな花々の競演。
甘く漂うフルーツの香りと招待客がばら撒く香水が不思議に妥協しあって混ざり合う。
迷い込んだ都会の楽園で、身体の中の何かが形を失い、溶け出していくのをひしひしと感じる。
「南国の味がする・・・このお酒。」
「ん?グラン・マニエベースみたいだな。」
「うん、オレンジが口の中にフワーッって広がって、一気に夏のビーチにトリップだよ。
東京の真ん中に居るとは思えない。」
「そうだな。
今夜は星も見えそうだし、いい夜になりそうだ。」
デュオ・コンサートは二台のピアノを向かい合わせにした形態で、バッハ・モーツァルトといった古典から、速度練習曲など指が見えないくらいの速さで息ピッタリに奏でられ、秀逸に仕上がっていた。
勿論、満場の拍手喝采で終了した。
そして、続いて行われたこのパーティー。
ドレスコードはカジュアルだ・・・といっても、男性はジャケット着用、女性も場所柄、カクテルドレスが多い。
私はワンショルダーの膝丈カクテルドレスで、美作さんはサンドベージュの麻のジャケットを着用してる。
いつも思うのは、美作さんはジャケットが良く似合うってこと。
ガッシリした肩幅に程よく付いた筋肉にはどんなジャケットを羽織らせても、決してはずすことがないんだ。
「来週は、あいつらと京都まで遊びに行くんだって?」
「そうなの、アジサイ見に行こうって話になってね。
美作さんも一緒にどう?」
「悪いが、遠慮しとくわ・・ハハ。
牧野も付き合いいいよな、いつまでも構ってやらなくていいんだぜ。
そろそろ、デートの相手でも本気で見つけないと牧野もヤバイんじゃないのかよ?
あいつら、ひつこいだろうけど・・・次から遠慮なく断われよ。
なんなら俺から釘差しておこうか?」
「いいんだってば。
どっちみち、デートのあてがあるわけじゃないし、暇なんだから。
一緒に居て、気がおけなくてホントに楽だし、第一、あの子達はもう子供じゃないんだよ。
美作さんの知らない女同士の楽しい会話とかもしてるんだから。」
「なんだ、それ?」
「クスッ、聞きたい?
二人がお嫁さんに行っちゃう時、この兄は駄々こねて、大変だろうね・・・アハハ。」
拗ねたようにワイングラスをすすり、小さな声で「黙れ!」なんて言う美作さんが大きな子供に見える瞬間だ。
いつのまにか、上空では忽然と夜の帳が下りていて、すっかり闇色へ移っていた。
代わりに闇を照らすのはホテルの外灯で、キラキラとパーティーを盛り上げている。
そして、見事に配置されたグリーンは危険なジャングルのようにゾクゾクした高揚感をかもし出す演出に一役買っている。
蒸れたような生ぬるい夏のそよ吹く風は熟れたフルーツの香りを鼻先に運んで、酔い心地は上質ですこぶる良く、心も軽くフワリと浮くような錯覚を起こす。
「牧野、あそこのテラスに行くか?」
美作さんが指差したのは、プールに面した上のフロアにあるテラスだ。
「うん、風がもっと気持ちいいかもね。」
私たちはグラスを置き、建物の端にある階段を上ることにした。
コツコツと響くヒールの音がコンクリに吸い込まれ、肩が擦れ合う程近づいた美作さんの香りが軌跡を残す。
「ちょっと、失礼。」
裸側の肩に乗っかった髪の毛を一本つまみあげ、微笑む美作さん。
「あっ、付いてたんだ・・・気付かなかった。サンキュ。」
こちらをチラリと見遣る美作さんにそう言って微笑み返す。
一緒に居て気が置けなくてホントに楽なのは、何も妹たちだけじゃない。
さりげない優しさにいつも包まれていたことに、それがあまりにも美作さんらしくて、あえて思い出すこともなかった。
ちょうど階段は折り返しのカープ地点に来ていて、外灯が届かない部分は暗い影を作っている。
私は立ち止まり、美作さんを見上げて口を開いた。
「美作さんは本当に優しいから、お嫁さんになる人は幸せだと思うよ。
美作さんこそ、本気で探しなよ。
あのさ・・・いっつも、いっつも、本当にありがとうね。」
面と向かってちゃんとお礼を言っておこうと思った。
美作さんだけを見つめながら、心をこめた笑顔を贈るのは、付き合いが長いだけにちょっとだけ照れる。
「牧野・・・。」
周囲にはクラッシックのBGMとチラチラ見える外灯。
そして、ムンとした甘い濃厚な、南国リゾート地のような空気がベッタリと身体にまとわりついてくる。
美作さんの焦茶色の瞳は、私以外何も見ていなかった。
驚きから私を真っ直ぐ見つめる眼差しに変わったかと思うと、何かに取り憑かれたように無言のまま私を静かに見下ろしていた。
世界はとたんに恐ろしいほどゆっくりと動き始め、3秒・4秒・・・流れていくのは、不思議と秒針ではなく、美作さんとの楽しい思い出だ。
ほっぺたが落ちそうなくらい美味しかったBBQのハンバーグ。
焼いたのは自分だって、自慢気に笑ってたっけ。
いつもと違う、初めての展開に驚きよりも、心地よさが上回っていたと思う。
何かがこちらに向かってくるような強い勢いにたじろぎ、今にもなぎ倒されそうなのに、どこかで頑丈な私が視線を反らそうともせず、耐えながら目を見開いていた。
まさに息をするのも忘れボーっと見返していた。
美作さんの右手が私の頬に伸びてきて、そっと触れる。
柔らかく触れられただけの軽いタッチ。
だけれど、電光石火のようにビリビリと心臓まで届いて、そこから一歩も動けないのがわかる。
美作さんは何を思い、焦茶の瞳は何を語っていたのか?
それは、私にはちっとも分からなかった。
ただ、私も美作さんと同じように感じたくて、どうしたらそうなれるのか、そのためには脳の思考回路が溶けてもいいと思った。
美作さんのウェーブヘアが、そよ風に揺れながら涼しげになびいていたのだけは覚えてる。
今にも止まってしまいそうなほどスロウに近づいてきた背の高い男らしい影。
耳の下まで伸びた柔らかそうなウェーブが、夏の夕凪のように平和で、怖くもなんともなくて自らその影を受け入れた。
静かで心地よい区切られた空間に、恋のキューピットが放ったアロウ。
それは、偶然の出来事のように不意な訪れでありながら、不可避な流れの真ん中に命中した。
甘い美作さんの香りが鼻腔をくすぐり、微かに触れた美作さんの鼻先は乾いた音を立て、キューピットに導かれたように柔らかい唇を私の胸の中へ届ける。
私は魔法をかけられたように瞼を塞いだ。
二人の唇が触れ合い、生まれてきた潤いゆく感覚。
何も無かった大地から小さな芽が顔を出す喜びにも似て、繰り返される自然の摂理に感謝したくなる。
音も立てずに湧いてくる感情は切ないほど胸の奥から湧きあがり、涙がこぼれそうだった。
キスって、こんなに優しいの?
キスって、こんなに素敵なものだった?
ドキドキしてる暇はなかった。
温かい夏のそよ風が運んだ一風のいたずらだったのかもしれない。
キスって、こんなにも自然なものだったんだね。
とっても自然で、ふいに訪れた。
美作さんのウェーブだけが揺れていた。
ゆっくりと唇が離れていく。
美作さんの影が離れていく。
鼻先が擦れ合い、瞳と瞳がぶつかって、視界の中に美作さんの表情を捉えると、その焦茶の瞳は少年のように可愛くて、大人のように頼もしく揺れていた。
視線は太く繋がったまま、すごく近くにあって切れることはなく、お互いの心まで覗き合えた。
そして、気付いた私たち。
心がざわめいて、何かが生まれて喉の奥のほうに熱を持っている。
さっきのカクテルのせい?
ううん、ちがう。
何かが始まろうとしているざわめいた予感。
熱のある明るいトーンの恋の予感。
とたんに胸がドキドキし始めて、きっと私は赤面してしまっただろう。
美作さんとキスしてしまった。
もう昨日までの私たちには戻れない、けれども、悲しくなんかない。
もっと新しいことが始まりそうな予感がグングン大きくなる。
もう、お兄さんなんかじゃない。
もう、目の前の背格好麗しい男を魅力的な男と意識するなという方が無茶な話。
二人の間の空気はハートマークがいっぱい入った袋のように膨らんで、なんだか緊張して押しつぶしてしまいそうな勢いだ。
気まぐれキューピットが放っただけかもしれないけど、ビックパーンのごとく大きく火花を散らし生まれてしまった。
こんなこともあったなんて・・・誰が知っていた?
ある一夜の夏の出来事。
こんなに自然に訪れた恋の予感。
Spontaneous Kiss
愛しさの始まりは、いつも突然なのかもしれない。
新しい物語が始まった。
end
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